2019年11月24日日曜日

漱石が松山中学の教壇に立っていたのは1年だけだ


その後かれが第五高等学校で英語教師をしていたことはみな知っている。そしてかれが実生活では器用には生きられなかった人物であることも知っている。
だから彼は小説を書くことができたのだろう。
手の届かない高い位置に残っている柿の実をみあげて,ふるい柿の木をみてそんなことを思った。冬の始まりなのだ。


2019年8月29日木曜日

最初のオリュンピアの祭典は紀元前776年に開催された

紀元前776年。ホメロスがイリアスとオデュッセイアを書いたのがこの頃で,この年に最初のオリュンピアの祭典が開催されたと伝えられる。この数字は紀元前585年の日食から逆算して得られたものだ。4年ごとに開かれていた祭典の第48オリュンピアの祭期の4年目だった。
僕はオリンピックの話をしようとしているのではなく,タレスのことを語ろうとしているのだ。

2019年8月9日金曜日

合田雄一郎が警察大学校の教授になっていた。



読後の感想は,もちろん自分勝手なものだけれど。かなり興味深かった。おもしろかった。少しの回り道を終えて高村薫がもどって来たのだと感じた。いいか悪いかなんてない。そんなことではないのだ。
甲子園球場の隣にあったダイエーの本屋で「照柿」を買ったのを思い出した。娘と散歩の途中だった。

2019年7月25日木曜日

心地よいことばがある。みごとなことばがある。A カミュには天才がある。



ぼくは無神論者であるとよく書かれるし,ぼくの無神論が云々されるのも耳にする。ところがそんな言葉はぼくにはどうでもよいことだ。ぼくにとっては,それは意味をもたない。ぼくは神を信じてはいない。とはいえぼくが無神論者であるわけではない。

2019年7月13日土曜日

ゴドーは来ないんだよ,と応えた。

彼女は一生懸命に訊いたんだと思う。「ゴドーを待ちながら」の話をしてください。そう訊いた。僕も若かった。若かったなんて言い切っているから,かなり年とったんだ。エストラゴンだっただろうか。ベケットをめくるのも面倒くさい。
来ないから物語なのだ。きっと明日もゴドーは来ないんだと僕は応えた。僕はかなり面倒くさいヤツだったから。そう話した。不条理の物語は好きだ。文学や脚本は毒なのだ。作家は毒をまき散らす生き物なのだ。そう話した。
もう20年になる。だからもう40年以上もむかしの話だ。

2019年6月29日土曜日

真実と思われていることがらは3つの段階を経ている

第1段階,嘲笑の的になる。第2段階,断固として反対される。第3段階,自明の理として受け入れられる。
僕はショーペンハウエルの文言のことではなく,木田先生のことを話そうとしているのだ。スパゲッティが好きだった木田先生だ。

2019年6月27日木曜日

イメージの赤さの規準は何か。

赤いのが他人のイメージであるときには,私にとってのその規準は他人の言語である。赤いのが私のイメージであるときには,当の私にとってその規準は何もない。

ウィットゲンシュタインの全集は,とても高価で手には入らなかった。かと言って原語で読む力はなかった。岩波文庫の★1つが70円だったから,斉藤先生は学食の定食を我慢して,本を読みなさいと話した。素うどんにすれば30円ですんだから。そうだ。70円あれば,カツ丼や中華丼が食べられた時代だった。30円で電車に乗ってた頃の話だ。

庭で小さい猫がねむっていた。

きっと娘だ。いつもの場所で,無防備に,彼女の場所だった。
時間が過ぎたのだ。世代が変わったのだ。今年のソテツの腕の広げ方は異常だ。空からはっきり見えるように・・なのかも知れない。台風に変わるかも知れないと言われた渦巻きは早々に通り過ぎ,初めての芙蓉の花が開いた。庭はもう温帯雨林だ。