2019年11月24日日曜日

漱石が松山中学の教壇に立っていたのは1年だけだ


その後かれが第五高等学校で英語教師をしていたことはみな知っている。そしてかれが実生活では器用には生きられなかった人物であることも知っている。
だから彼は小説を書くことができたのだろう。
手の届かない高い位置に残っている柿の実をみあげて,ふるい柿の木をみてそんなことを思った。冬の始まりなのだ。