2022年8月23日火曜日

グラハム・ハンコックがまだ本を出していたことを知らなかったけれど

 


彼の本は,たぶん読まない。今は選ばない。マルク・レビンソンの新しい本はきっと読むと思います。

けれども,その前に万城目学を読むます。彼のこの本を読みます。

その辺の学者や評論家より明らかに優秀で頭のいい人物は作家になってしまうのでしょうか。

2022年8月10日水曜日

ウクライナで1日に何人が戦争のために亡くなっているか。日本の1日のコロナによる死亡者の数…調べてみろ,比較してみろ,とだけメールした。

 


目の前にあるのに見えていない。よくあることだ。数字を使って説明していれば正しく聞こえる。大切なのは使い方なのだ。

何回も説明したのに,くどいほど話したのに。DATAの使い方が間違っていないか検証しろ,と。

なんてことは彼らには説明しなくなった。テレビに居場所を与えられたモノには,ことばが通じなくなる。全員に,ではないけれど。

ぼくに責任感などないけれど,義務感なんてありはしないけれど。ぼくの怠慢は暑さのせいだけではない。ぼくにはもともと良心なんてないのだ。元来,怠惰なのだ。

携帯を着信拒否にして,この季節にも送ってくれた友人の汗のたまものを肴に酒を楽しむ。夏は暑いのだ。夏はここちよい季節なのだ。

2022年7月20日水曜日

京都を舞台にしたドラマを見た。高畑充希のドラマだ。

 wowowのドラマを流しながら,ぼくは別の景色を眺めていた。1998年の京都の風景だ。登場人物も当然別の人物だ。

映し出される景色の中にぼくらはいた。たぶん10月10日だった。数年ぶりに改札口を出たぼくにとって京都の町は新鮮だった。地下鉄が走った日だった。

物語はない。語るべき話はない。けれども,なつかしい街だ。あれから一度も足を踏み入れていない。

京都の範疇に,書き込まれている女の子が三人。おそらく三人だと思う。彼女たちの物語にも続きはない。

2022年5月2日月曜日

羅臼はドラマ「北の国から」のイメージだ

 


吉岡秀隆=純は,雪の海岸に立っていた。唐十郎も岸谷五朗もいたなぁ。ぼくの思いは筋違いの方向に飛んでいく。知床は極寒の地だ。

ウクライナはアレクシェーヴィッチを呼び出した。哀しく優れた作品だ。

人間はいつまで経っても歴史に学ばない。人間?もちろん,ぼく自身のことだ。平和ぼけのぼくは,ウクライナやロシアのことを頭の隅の整理箱の中に詰めこんで,そこに住むひとたちのことを考えてもいない。知識はたいして役に立たない。


2022年3月18日金曜日

むかしむかし,僕らの周りには世界が広がっていた。

 


メタバース・・本気でしゃべる友人がいる。熱心に力説する友人がいる。

NFS・・・僕はそこが世界だとは思っていないんだ。

あんな小さな画面の向こうに世界が広がっていると思い込んでいる彼らは,・・・悪口ではないのだけれど

ただただ,消費者として載せられているだけなのだと気付かない人たちが悲しい。スマホ・・そんなものなくたってなにも困らないのだよ。・・と言いたいけれど。汚染はひろまっているのだ。

映画マトリクスの風景はフィクションなのだよと言わなくてはならないのだろうか。

2022年1月24日月曜日

真剣に本を探したこと・・デリダの本

 


今日の夕刻になって,やっと発見です。

物覚えが極端に悪くなっています。もともと,それほど記憶力がいいわけではないから,ここへきておもしろいほどボケているわけで。

上巻を読み流していて,そろそろ,下巻だと思ったのだと思う。目の前にあるはずの本がないことに気付いたのは,数日まえのこと。ことばを濁しているけれど,正確な日付は覚えていない。

どこかで表紙をなくしてしまった上巻と,まだ表紙が生き残っている下巻は,1階の本箱の同じ棚に横並びにあったのだから,そもそも一緒にこの部屋に運んできたはずだったから。

数日前にちょっとした地震があった。と,発見できない理由をこじつけた。


2022年1月9日日曜日

友人に,あまりに強く推薦されたので本を買いました。


 



小説を購入しました。彼は読むべきだ。読まなければなりません。と推薦しました。
ぼくには読むべき小説があるとは思えませんが,彼の主張は信用してもよいものです。全く知らなかった作家であり,作品でした。けれど,格好売れている本だという情報は後から知ったことです。
地方の書店情況は厳しいもので,第2部,第3部しか手に入りませんでした。中途から読みたくなかったので,第1部は注文して入荷待ち・・です。
作者の名前も,タイトルもどのように読めばいいのか分からないいい加減な読者です。