2020年10月22日木曜日

後ろを向いているのではありません。

 前に進むために記憶の整理をしているのです。整理しているのは君のことだけではありません。ぼくのあの物語に登場するのは君だけではないのです。もちろん君が出てこないぼくの物語は成立しないことは事実です。けれど,すべてのものがたりに君が出てくるというのは傲慢です。ぼくの君はそこまで傲慢ではありません。

ちゃんとこのことは整理してもう一度電話します。話します。時間はつくろうと思っていますから。

2020年10月17日土曜日

大田区の区役所から池上方面へ50mも歩くと公衆電話があった

黄色い公衆電話は100円玉をつかうことができたから都内になら30分は話すことができた。彼女を暗い事務所に長時間立たせておく訳にはいかないから,夜の会話は100円で繰り上げることにしていた。そうでない日もあったかも知れない。とにかく,その公衆電話は彼女に電話するためにだけ存在していた。

4畳半の下宿に電話なんかあるはずもない昭和50年頃の話だ。大森駅から下宿まではもちろんいつも歩いた。人通りも少なくなる時間には,環七ぞいの交番のおまわりさんによく職務質問された。平和な時代だった。

話をごまかした。


2019年11月24日日曜日

漱石が松山中学の教壇に立っていたのは1年だけだ


その後かれが第五高等学校で英語教師をしていたことはみな知っている。そしてかれが実生活では器用には生きられなかった人物であることも知っている。
だから彼は小説を書くことができたのだろう。
手の届かない高い位置に残っている柿の実をみあげて,ふるい柿の木をみてそんなことを思った。冬の始まりなのだ。


2019年8月29日木曜日

最初のオリュンピアの祭典は紀元前776年に開催された

紀元前776年。ホメロスがイリアスとオデュッセイアを書いたのがこの頃で,この年に最初のオリュンピアの祭典が開催されたと伝えられる。この数字は紀元前585年の日食から逆算して得られたものだ。4年ごとに開かれていた祭典の第48オリュンピアの祭期の4年目だった。
僕はオリンピックの話をしようとしているのではなく,タレスのことを語ろうとしているのだ。

2019年8月9日金曜日

合田雄一郎が警察大学校の教授になっていた。



読後の感想は,もちろん自分勝手なものだけれど。かなり興味深かった。おもしろかった。少しの回り道を終えて高村薫がもどって来たのだと感じた。いいか悪いかなんてない。そんなことではないのだ。
甲子園球場の隣にあったダイエーの本屋で「照柿」を買ったのを思い出した。娘と散歩の途中だった。

2019年7月25日木曜日

心地よいことばがある。みごとなことばがある。A カミュには天才がある。



ぼくは無神論者であるとよく書かれるし,ぼくの無神論が云々されるのも耳にする。ところがそんな言葉はぼくにはどうでもよいことだ。ぼくにとっては,それは意味をもたない。ぼくは神を信じてはいない。とはいえぼくが無神論者であるわけではない。

2019年7月13日土曜日

ゴドーは来ないんだよ,と応えた。

彼女は一生懸命に訊いたんだと思う。「ゴドーを待ちながら」の話をしてください。そう訊いた。僕も若かった。若かったなんて言い切っているから,かなり年とったんだ。エストラゴンだっただろうか。ベケットをめくるのも面倒くさい。
来ないから物語なのだ。きっと明日もゴドーは来ないんだと僕は応えた。僕はかなり面倒くさいヤツだったから。そう話した。不条理の物語は好きだ。文学や脚本は毒なのだ。作家は毒をまき散らす生き物なのだ。そう話した。
もう20年になる。だからもう40年以上もむかしの話だ。