2024年9月24日火曜日

山田玲司のチャンネルをときどき観る


なかなかに面白いので、山田玲司のyoutubeチャンネルを時間つぶしにときどき観る。
けれども、彼のかいた作品を1ページも読んだことがなく、第一、名前すら知らなかった。しかし、彼のしゃべることの中身は、なかなか厳しく適切に思える。どんな巨匠に対しても、かきはじめたばかりの新人に対しても分け隔てがない。よくも悪しくもだ。なにより、ぼく自身の評価と食い違わないことがうれしい。異なる新鮮な視点を教えてくれるのがうれしい。
偏った知識しかなく、少ない脳みそしかなく、大して努力もしていないだろう岡○某とはレベルが違う。
だからこそ、読んでみようと思った。そんな彼の作品はどんなものなのだろうと。けれど漫画家もまた悲しい。15冊セットで、1500円くらいだったと思う。1冊500円の定価がついているのに・・だ。
まだ、1ページ開いていないのだけれど。秋の夜長、隙があれば読みたいと思う。

 

2024年9月12日木曜日

郵便は,郵便切手は,今でも必需品です。


 



今月末で料金不足となる郵便切手を交換してもらってきました。

手紙は長い間,もっとも好きな通信手段でした。手紙にはずいぶんお世話になりました。これからも重要であるように思います。
ただし,手紙は重く捉えられるのかも知れません。めんどくさいヤツだと思わせてしまうのかも知れません。自分では手紙を書きたいとは思ってはいるのですが。

最後に手紙を書いたのは,いつですか?投函したのはいつですか?

2024年8月16日金曜日

母がなくなってから,お盆も適当です。



適当に形だけは,お盆してます。しました。
今年はとりわけ暑い夏に感じます。

 

2022年8月23日火曜日

グラハム・ハンコックがまだ本を出していたことを知らなかったけれど

 


彼の本は,たぶん読まない。今は選ばない。マルク・レビンソンの新しい本はきっと読むと思います。

けれども,その前に万城目学を読むます。彼のこの本を読みます。

その辺の学者や評論家より明らかに優秀で頭のいい人物は作家になってしまうのでしょうか。

2022年8月10日水曜日

ウクライナで1日に何人が戦争のために亡くなっているか。日本の1日のコロナによる死亡者の数…調べてみろ,比較してみろ,とだけメールした。

 


目の前にあるのに見えていない。よくあることだ。数字を使って説明していれば正しく聞こえる。大切なのは使い方なのだ。

何回も説明したのに,くどいほど話したのに。DATAの使い方が間違っていないか検証しろ,と。

なんてことは彼らには説明しなくなった。テレビに居場所を与えられたモノには,ことばが通じなくなる。全員に,ではないけれど。

ぼくに責任感などないけれど,義務感なんてありはしないけれど。ぼくの怠慢は暑さのせいだけではない。ぼくにはもともと良心なんてないのだ。元来,怠惰なのだ。

携帯を着信拒否にして,この季節にも送ってくれた友人の汗のたまものを肴に酒を楽しむ。夏は暑いのだ。夏はここちよい季節なのだ。

2022年7月20日水曜日

京都を舞台にしたドラマを見た。高畑充希のドラマだ。

 wowowのドラマを流しながら,ぼくは別の景色を眺めていた。1998年の京都の風景だ。登場人物も当然別の人物だ。

映し出される景色の中にぼくらはいた。たぶん10月10日だった。数年ぶりに改札口を出たぼくにとって京都の町は新鮮だった。地下鉄が走った日だった。

物語はない。語るべき話はない。けれども,なつかしい街だ。あれから一度も足を踏み入れていない。

京都の範疇に,書き込まれている女の子が三人。おそらく三人だと思う。彼女たちの物語にも続きはない。

2022年5月2日月曜日

羅臼はドラマ「北の国から」のイメージだ

 


吉岡秀隆=純は,雪の海岸に立っていた。唐十郎も岸谷五朗もいたなぁ。ぼくの思いは筋違いの方向に飛んでいく。知床は極寒の地だ。

ウクライナはアレクシェーヴィッチを呼び出した。哀しく優れた作品だ。

人間はいつまで経っても歴史に学ばない。人間?もちろん,ぼく自身のことだ。平和ぼけのぼくは,ウクライナやロシアのことを頭の隅の整理箱の中に詰めこんで,そこに住むひとたちのことを考えてもいない。知識はたいして役に立たない。