2019年8月9日金曜日
合田雄一郎が警察大学校の教授になっていた。
読後の感想は,もちろん自分勝手なものだけれど。かなり興味深かった。おもしろかった。少しの回り道を終えて高村薫がもどって来たのだと感じた。いいか悪いかなんてない。そんなことではないのだ。
甲子園球場の隣にあったダイエーの本屋で「照柿」を買ったのを思い出した。娘と散歩の途中だった。
2019年7月25日木曜日
心地よいことばがある。みごとなことばがある。A カミュには天才がある。
ぼくは無神論者であるとよく書かれるし,ぼくの無神論が云々されるのも耳にする。ところがそんな言葉はぼくにはどうでもよいことだ。ぼくにとっては,それは意味をもたない。ぼくは神を信じてはいない。とはいえぼくが無神論者であるわけではない。
2019年7月13日土曜日
ゴドーは来ないんだよ,と応えた。
彼女は一生懸命に訊いたんだと思う。「ゴドーを待ちながら」の話をしてください。そう訊いた。僕も若かった。若かったなんて言い切っているから,かなり年とったんだ。エストラゴンだっただろうか。ベケットをめくるのも面倒くさい。
来ないから物語なのだ。きっと明日もゴドーは来ないんだと僕は応えた。僕はかなり面倒くさいヤツだったから。そう話した。不条理の物語は好きだ。文学や脚本は毒なのだ。作家は毒をまき散らす生き物なのだ。そう話した。
もう20年になる。だからもう40年以上もむかしの話だ。
来ないから物語なのだ。きっと明日もゴドーは来ないんだと僕は応えた。僕はかなり面倒くさいヤツだったから。そう話した。不条理の物語は好きだ。文学や脚本は毒なのだ。作家は毒をまき散らす生き物なのだ。そう話した。
もう20年になる。だからもう40年以上もむかしの話だ。
2019年6月29日土曜日
真実と思われていることがらは3つの段階を経ている
第1段階,嘲笑の的になる。第2段階,断固として反対される。第3段階,自明の理として受け入れられる。
僕はショーペンハウエルの文言のことではなく,木田先生のことを話そうとしているのだ。スパゲッティが好きだった木田先生だ。
僕はショーペンハウエルの文言のことではなく,木田先生のことを話そうとしているのだ。スパゲッティが好きだった木田先生だ。
2019年6月27日木曜日
イメージの赤さの規準は何か。
赤いのが他人のイメージであるときには,私にとってのその規準は他人の言語である。赤いのが私のイメージであるときには,当の私にとってその規準は何もない。
ウィットゲンシュタインの全集は,とても高価で手には入らなかった。かと言って原語で読む力はなかった。岩波文庫の★1つが70円だったから,斉藤先生は学食の定食を我慢して,本を読みなさいと話した。素うどんにすれば30円ですんだから。そうだ。70円あれば,カツ丼や中華丼が食べられた時代だった。30円で電車に乗ってた頃の話だ。
ウィットゲンシュタインの全集は,とても高価で手には入らなかった。かと言って原語で読む力はなかった。岩波文庫の★1つが70円だったから,斉藤先生は学食の定食を我慢して,本を読みなさいと話した。素うどんにすれば30円ですんだから。そうだ。70円あれば,カツ丼や中華丼が食べられた時代だった。30円で電車に乗ってた頃の話だ。
庭で小さい猫がねむっていた。
きっと娘だ。いつもの場所で,無防備に,彼女の場所だった。
時間が過ぎたのだ。世代が変わったのだ。今年のソテツの腕の広げ方は異常だ。空からはっきり見えるように・・なのかも知れない。台風に変わるかも知れないと言われた渦巻きは早々に通り過ぎ,初めての芙蓉の花が開いた。庭はもう温帯雨林だ。
時間が過ぎたのだ。世代が変わったのだ。今年のソテツの腕の広げ方は異常だ。空からはっきり見えるように・・なのかも知れない。台風に変わるかも知れないと言われた渦巻きは早々に通り過ぎ,初めての芙蓉の花が開いた。庭はもう温帯雨林だ。
2018年9月18日火曜日
牧瀬紅莉栖・・「まきせくりす」と読ませる。これはまだましな方だけれど。
この作家が例外というわけではない。名前のセンスは悪くないのに、その漢字のセンスがちょっと酷い。そんなことはどうでもいい。いいセリフにぶつかった。♪勘違いしないで。コレは、まきせくりすじゃあない。彼女は死んだの♪・・いいセンスだ。いい設定だ。マンガのはなしだ。アニメのはなしだ。
登録:
投稿 (Atom)